ぼんやりしてても願いは叶うのか?

ゆるっとまるっと引き寄せ体験についてのこと。

花束を君に(ネガティヴについて)

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本日は東京デイ。

毎月、お借りしているサロンでの個人セッション。

朝ぼんやりしてて乗り換えをミスりギリギリだった。

でもそこからノンストップで夕方まで。

朝から何も食べずだった。

(休憩の時間なし)

昨日のハンバーグがもはや懐かしい。

 

 

yurumaruhikiyose.hatenablog.com

 

でも食べなければ食べないで意外と平気で、

ふらふらしたりもせずに乗り切れる。

夜はメインはデパ地下で買い、

帰宅してサラダと汁物を作り遅めの夕食となった。

蛤の潮汁が美味しかった。

 

商店街のいつもは静かな花屋の店先が賑わってるな、

と思ったら、母の日だった。

赤やピンクのカーネーションがたくさん並んでいた。

母の日だけが感謝を送る日にあらずと思って賑わいを横目に通り過ぎた。

先日、帰郷した時に、いろいろ話を聴いたし、

お花はいっぱい実家の庭にあるので、

今年はいいだろう(送る年もある)

と判断したのが本音。

 

 

今日の引き寄せ。

最近、魚が食べたいと思ってて、

なるべく食事にも魚介類を取り入れてるのだけど、

今日のお客様から美味しそうな食べる煮干しをいただいた。

別のお客様からは大好きなナマケモノの絵皿(豆皿)をいただいた。

 

以前はお土産やこうしたお気遣いが、申し訳なくて、

すみませんー、ほんとに何も持って来て頂かなくていいんですよ!

と思ってたし(実際伝えたり)

受け取り下手だったなあと思うけど、最近は全力でいただいてる。

 

何より、わたしのためにと思ってくださる

その気持ちが嬉しいし、感謝である。

 

母にカーネーションのひとつも送らず、

こんないい目にあっていいのだろうか?って想いが一瞬よぎったが

母親だって娘であるわたしが元気でいることが嬉しいはず!

と気を取り直した。

 

昔よりかなりマシだけど

どうも親のこととなると、

心に上手に収納してるはずのネガティヴが、広がって来がち。

 

うちの母親が強烈ネガティヴの持ち主なので、

娘であるわたしもそれを少なからず受け継いでるのだ。

(母ももらい下手)

 

でも、その母親のネガティヴもわたしが変わったせいか、

猛威を振るわなくなった。

今ではギャグのように感じるので、昔と同じことを言われても、

翻弄されないし、冷静に話しを聞けるようになった。

 

子供だしわかってくれるはず、

母親だしわかってくれるはず、

というのは幻想だ。

 

だって、違う人間だし。

 

たまたま、先に生まれた人の子供としてわたしが生まれただけで、

母親も子供だったとき、娘だったとき、独身だったとき、

わたしの知らない○子さん、だった訳で。

 

母親だって生まれた時から母親だった訳じゃない、

わたしと同じ人間だ。

(当たり前だけどね。)

 

って思えた日からほんとの意味で親離れできた気がする。

 

今ではわたしが言ったことでネガティヴな反応されても、

なんでそんなふうに言うの!?とならずに、

 

ヘェ〜って思えるし、

そんなふうに感じるのかとただ思うだけ。

勝手に悲しくなったりせず。

 

感情を乗せずに軽く、

わたしがそれはこう考えたらいいんじゃない?とか

こうだと思うよって言うと不思議と

ネガティヴモードが緩んで、前向きになることもある。

 

でも

それも別に期待しない。

母は母で想ってることはあるだろうし、

どんなことでも、その人の何かになるかもしれないから。

 

母親の毒に今までヤラレテきたーーって

いうところから卒業した今は、

 

それ、自分由来の毒だろ(ネガティヴも)

っていうしかないので、

自家中毒起こさないようにせねばなと思う。

 

何かのせいに(そう思いたい時もあるし)している時は、

案外楽だったり寄りかかれるものがあったりするのかもしれない。

 

砂糖の記憶と同じで、

ネガティヴは辛くても甘い記憶。

 

今は欲しくないのに、時々、誘惑するよね〜〜って感じなのだ。

 

そんなことを思い返してたから、

明るいピンクや赤のカーネーション

妙に眩しすぎる異素材みたいに見えたのかな。

 

宇多田ヒカルの花束を君という歌が浮かんだ、

きっと今日はそんな人も多いんじゃないかなと思う。