ぼんやりしてても願いは叶うのか?改、ぼんやりしてたら願いは叶わない!

ゆるっとまるっと引き寄せ体験についてのこと。

グッナイ、今日のわたし。

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京都滞在2日目。

今朝、起きた時に、鞍馬寺に行こうと思い立ち、

午前中に出かけた。

最寄り駅から叡電に乗り30分くらいで鞍馬駅に到着。

そこからケーブルカーには乗らず歩いて鞍馬寺まで。

ゆっくり参拝したあと、奥の院を通り貴船に抜けるいつものコースで巡った。

途中、ゆっくり休んだりしつつ約2時間で山を降り、

帰りは貴船口までバスに乗り、叡電でまた帰ってきた。

その後は近所の友人と待ち合わせ、ランチをして夕方別れ、

いつもの神社にお水をいただきに。

写真は帰り道のお気に入りの緑道。

春には桜、もうしばらくすると紫陽花が咲く素敵な小径。

 

鞍馬山は思い出深い場で、

10年ほど前にふらっと来て

そのおかげで京都の縁ができたと思っているので

時々、こうしてひとりでお礼とご挨拶に行く。

 

縁ができたきっかけについても

ブログに今日は書こうかなと思いながら奥の院を歩いていると、

 

過去のことなんて、どうでもいいのだ。

大切なのは今だけだ!

 

と、心の声が聞こえた。。。

 

今日のブログのネタが、、、

というか

このブログを始めた主旨が変わってしまうではないかと一瞬思う。

 

 

yurumaruhikiyose.hatenablog.com

 

今、どうしたいのかが大切で、

過去がどうであれ関係ないということか。。。

 

でもネタとしては結構濃厚なんだけどなあ。

とか思いつつ更に歩いていたら、

奥の院の魔王殿というところで円陣になってる人たちが。

どうやらスピリチュアル系の人たちのようだった。

中心で語っている如何にもヒーラー的なヒゲの男性がちょうど、

チャネリングとかいまどき高いお金出して習いに行くなんてしないでいいからね」

「馬鹿らしいから」

というようなことを関西弁で軽快に言っていたのが聞こえた。

 

わたしもいわゆる、数年前までそういうことをしていたのだった。

(習いには行ってない、あることがきっかけで急に出来るようになってしまった)

 

そのおかげで、いろんな人たちにも会えたし、

いろんな体験もできたけど、すっぱりそれは手放した。

 

もう、人に(見えない存在達に)答えを委ねる時期はとっくに過ぎたと思ってる。

 

答えはすべて、じぶんが知っている。

 

そのことに気づかないとずっとどこかで迷子になったままだ。

 

 

ありがとう、見知らぬヒゲのヒーラーっぽい人よ!

もうそういう感じじゃ、やっぱりないよね〜。

と心の中で語りかけつつ、その場を後にした。

 

更に身も心も軽くなり、貴船口に降りて、

ウキウキで歩いていたら、よくテレビで観る俳優さんとすれ違った。

(相棒に出てくる俳優さん)

 

これもわたしにとってYESの現象。

 

今まで、多くの芸能人をいろんな場で見かけてきたけど、

そういう時って不思議といい感じの流れにきてることが多い。

 

この時もそうだったかも。

(コーネリアスのくだり) 

yurumaruhikiyose.hatenablog.com

 

 とかなんとか言いつつ、

なんだかんだ言っても、過去に囚われがちなのかな。

 

でも、過去も現在も未来も、 今ここにあるという感覚が最近はある。

今ここの中心からの放射状の広がり。

そんな円というか球体の中に自分がいる感じがある。

いつもそんなふうには意識できないけど。

 

とまあ、今日のわたしはこんなこと考えてる。

 

明日のわたしはどんなかな?

 

また新しい朝がやってくる。

そう思って眠れるしあわせよ。

 

おやすみなさい。今日のわたし。

 

またどこかの地点で会いましょう。

 

ただの日記(京都暮らしのこと#5月)

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本日から京都滞在。

 

今月で京都に毎月通い出して一年経つんだなと、

和菓子屋のお品書きを見てあらためて気づく。

あっという間だったなと思う。

 

京都で暮らすというのも、だいぶ前からの願いだった。

それが、昨年叶ったのだった。

びっくり、いや、びっ栗である。

 

正しくは「暮らすように滞在する」という形だけど、

こんなふうに出来るなんて、とまだ不思議な感じだ。

普通に京都に来ると、いつもの生活が始まる。

近所に友達もいるし、馴染みのお店もある。

わたしは当たり前の顔して街を歩く。

 

一応、仕事に来てる訳だけど、

こっちの仕事はぼちぼちといったところ。

でも、この京都での暮らしが全体の仕事の幅を広げてると思うので、

損得は考えずにやってみている。

 

またここの空気を吸って

大きく循環していけるようにと思う。

 

昨年の3月くらいに京都の部屋を借りることを検討し始めたけど

4月に大きく揺さぶられることがあって、

どうするのか?って問われた。

 

本当にやるのか?って自答して、

出した答えがYESだった。

 

今やらなきゃ、きっと次はないなって

なんだか思ったのだ。

 

揺さぶられて止めようかと思った時、

今回も臆病風吹かせて諦めるのかい?

って、心の中で声が聞こえた。

 

今までやりたいようにやってきたつもりでも、

どこかで自分に制限をかけて、無理だと諦めてたことが

いっぱいあるんだなとそこで気づいたのだった。

 

どうなるかわからないけど、

やる!!って決めたら、

いろいろなサポートも起きて現実化した。

 

京都に行くということだけを思って、

余計なことを考えずに過ごしていたら、

願いは叶っていたのだった。

 

そして今ここにいる。

 

そんな訳で

今日からしばし京都暮らし。

 

この地で想うことをまた書いていこう。

 

 

 

花束を君に(ネガティヴについて)

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本日は東京デイ。

毎月、お借りしているサロンでの個人セッション。

朝ぼんやりしてて乗り換えをミスりギリギリだった。

でもそこからノンストップで夕方まで。

朝から何も食べずだった。

(休憩の時間なし)

昨日のハンバーグがもはや懐かしい。

 

 

yurumaruhikiyose.hatenablog.com

 

でも食べなければ食べないで意外と平気で、

ふらふらしたりもせずに乗り切れる。

夜はメインはデパ地下で買い、

帰宅してサラダと汁物を作り遅めの夕食となった。

蛤の潮汁が美味しかった。

 

商店街のいつもは静かな花屋の店先が賑わってるな、

と思ったら、母の日だった。

赤やピンクのカーネーションがたくさん並んでいた。

母の日だけが感謝を送る日にあらずと思って賑わいを横目に通り過ぎた。

先日、帰郷した時に、いろいろ話を聴いたし、

お花はいっぱい実家の庭にあるので、

今年はいいだろう(送る年もある)

と判断したのが本音。

 

 

今日の引き寄せ。

最近、魚が食べたいと思ってて、

なるべく食事にも魚介類を取り入れてるのだけど、

今日のお客様から美味しそうな食べる煮干しをいただいた。

別のお客様からは大好きなナマケモノの絵皿(豆皿)をいただいた。

 

以前はお土産やこうしたお気遣いが、申し訳なくて、

すみませんー、ほんとに何も持って来て頂かなくていいんですよ!

と思ってたし(実際伝えたり)

受け取り下手だったなあと思うけど、最近は全力でいただいてる。

 

何より、わたしのためにと思ってくださる

その気持ちが嬉しいし、感謝である。

 

母にカーネーションのひとつも送らず、

こんないい目にあっていいのだろうか?って想いが一瞬よぎったが

母親だって娘であるわたしが元気でいることが嬉しいはず!

と気を取り直した。

 

昔よりかなりマシだけど

どうも親のこととなると、

心に上手に収納してるはずのネガティヴが、広がって来がち。

 

うちの母親が強烈ネガティヴの持ち主なので、

娘であるわたしもそれを少なからず受け継いでるのだ。

(母ももらい下手)

 

でも、その母親のネガティヴもわたしが変わったせいか、

猛威を振るわなくなった。

今ではギャグのように感じるので、昔と同じことを言われても、

翻弄されないし、冷静に話しを聞けるようになった。

 

子供だしわかってくれるはず、

母親だしわかってくれるはず、

というのは幻想だ。

 

だって、違う人間だし。

 

たまたま、先に生まれた人の子供としてわたしが生まれただけで、

母親も子供だったとき、娘だったとき、独身だったとき、

わたしの知らない○子さん、だった訳で。

 

母親だって生まれた時から母親だった訳じゃない、

わたしと同じ人間だ。

(当たり前だけどね。)

 

って思えた日からほんとの意味で親離れできた気がする。

 

今ではわたしが言ったことでネガティヴな反応されても、

なんでそんなふうに言うの!?とならずに、

 

ヘェ〜って思えるし、

そんなふうに感じるのかとただ思うだけ。

勝手に悲しくなったりせず。

 

感情を乗せずに軽く、

わたしがそれはこう考えたらいいんじゃない?とか

こうだと思うよって言うと不思議と

ネガティヴモードが緩んで、前向きになることもある。

 

でも

それも別に期待しない。

母は母で想ってることはあるだろうし、

どんなことでも、その人の何かになるかもしれないから。

 

母親の毒に今までヤラレテきたーーって

いうところから卒業した今は、

 

それ、自分由来の毒だろ(ネガティヴも)

っていうしかないので、

自家中毒起こさないようにせねばなと思う。

 

何かのせいに(そう思いたい時もあるし)している時は、

案外楽だったり寄りかかれるものがあったりするのかもしれない。

 

砂糖の記憶と同じで、

ネガティヴは辛くても甘い記憶。

 

今は欲しくないのに、時々、誘惑するよね〜〜って感じなのだ。

 

そんなことを思い返してたから、

明るいピンクや赤のカーネーション

妙に眩しすぎる異素材みたいに見えたのかな。

 

宇多田ヒカルの花束を君という歌が浮かんだ、

きっと今日はそんな人も多いんじゃないかなと思う。

 

お肉食べたい♪お肉食べたい♪(食事についての記録)

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おにくにくにくにく

お肉食べよう♪

(という歌が好き)

 

今日は雨の中、隣町のショッピングモールへ。

広すぎてどこから見に行ったらいいのかわからなくなり、

ええい、先にまず腹ごしらえだ!と

着くなりもう早めのランチにしてしまうことに。

 

訳あって最近は肉食である。

こう書くとピンとくる人もいるかもしれないが、

糖質制限食を試している。

 

 

きっかけはいろいろあるんだけど、

周りにいろんな理由で糖質制限してる人が何人か居て、

最初は大好きな御飯を抜くなんて、、、無理!

と思ってたから、自分には出来ないと思ったのが、

本屋で「ケトン体は人類を救う 糖質制限でなぜ健康になるのか」(宗田哲男著)

という新書が目にとまり、読んでみたら、

試してみようという気になってきたのだ。

(ケトン体については医師や研究者によって様々な見解があるのでまだわたしも自分の考えを書けないが)

他にもいろんな医師の糖質制限についての本を読んでみて、

面白いなといちばん感じたのが、だいたいどの本にも、

 

「農耕が始まって一万年ほどである。

それ以前は穀物はなかった訳だから、糖質制限は本来の食事である。」

というようなことが書いてあること。

 

この何が面白いと思うのかというと、

以前にわたしはマクロビオティック(穀物菜食)の食事法をしていた時があって、

この時に読んでた本には「日本人は農耕民族だから肉を摂ることは不自然である」

というような趣旨のことが書いてあったのを思い出したから。

砂糖も摂ってなかったので、そういう意味では「糖質を制限」

していたけれど、今度は肉、魚、を含めたたんぱく質と、動物性の脂肪を摂ってるので似て非なる?感じ。マクロビオティックは一物全体の基本があって、丸ごと食べられない肉はそれ自体も不自然だと書いてあったし。

 

わたしも極端だなあと思う。菜食からの肉食。

マクロビオティックを実践してた時に自分に起きた体調の変化、

体感もやってみないとわからないことだったし、

今回の糖質制限についてもそうだと思うから、どうなるか楽しんでる。

 

始めて一カ月。

御飯が欲しくなるだろうなって思ってたけど、

米に対することは全然苦にならず、

意外だったのが自分は甘党じゃないと思ってたけど、

時々、無性にマックシェイク(20年くらい飲んでないと思う)とか、

チョコレートケーキとか、頻繁に食べてたものじゃない甘いものが食べたくなること。

 

砂糖の中毒性の根強さと糖質は脳の記憶が欲してるのかもしれないと思った。

からだが欲してる感じではないのもわかるので堪えてみる。

すると欲しくはなるけど、しばらくすると、また大丈夫になる。

 

ネットを見てると糖質制限ってほんとに流行ってるというか、

ダイエット目的でやってる人も多いんだなとあらためて知る。

 

個人的見解だけど、

そういう人のblogはほとんど参考にならないので

(ただ炭水化物抜く、カロリーまで制限する上で運動するという人も多いので真似すると危険)

 

わたしがこうして書いてることも個人的なことなので鵜呑みにしないでください。

興味ある人は何冊かいろんな医師の本を読んだ方がいいと思う。

 

わたしの感覚では糖質制限は主義じゃないし、

新しい栄養学って感じだ。

だから栄養を自分のからだに与えることに意識的になっている。

ごはんのおかずとしての料理が、おかずがメインになったので、

バランスや塩分についても以前より考えるようになったし、

物足りないと間食がしたくなるので、なるべく満足感を得られるメニューにもしている。糖質制限で推奨されてる油(オメガ3 不飽和脂肪酸とか)の摂取も心がけてる。

 

そんなふうにしてると、

ほんとにあらためて食べたもので

からだが出来てるんだなと思う。

(こころも血糖値の急上昇と下降が抑えられるおかげかより安定してる。)

2週間を過ぎたあたりからだんだんと痩せてきて、体重も落ちたけど、

お腹周りがすっきりした。

それでもまだ軽肥満であるので痩せてくのは当たり前だと思う。

おせんべいやスナック菓子などの間食もやめたし。

 

もっと面倒かなって思ってたけど、

お米を研いだりする手間もないし、

料理はもともと好きな方なので今のところは苦にならない。

外食もごはんよりパンを頼んだり、炭水化物を食べる量を調節してるし、

マクロビオティックの時より楽だと思う。

オーガニックにもこだわってないし。

 

そう、

こだわりとか主義になると途端に閉そく感を感じるので、

それだけは気をつけてる。

 

食べ物に対して良いも悪いもないのだ。

野菜でも肉でも魚でもいのちをいただいてる訳だから。

 

より美味しくいただき、

いただいたからには、自分のからだのためになるように。

それが受けとったLOVEを循環していくことだと思う。

 

そんな訳で本日もご馳走様でした!

 

明日は何を食べようかな。

 

 

叶った願いの考察#5(今どんな音を奏でてるか?)

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さて。本日2回目の更新。

これは家のシンボルツリーのジューンベリー

ちょうどこの家に引っ越してきたのが6月で、

実がなる木がいいなと思ったのもあって植えた。

昨年は今まででいちばん実が生った。

今年はどうかな。

毎年、熟すとヒヨドリが来て教えてくれるのだ。

 

今日の1回目の更新で書いたように、

 

 

yurumaruhikiyose.hatenablog.com

 

最近、モテようとしてるわたしだが、実際全然モテないかというと、

おかげさまで意外とモテているほうだと思う。

モテの基準は人それぞれなので、独断で書いてる。

いろいろとその辺はご容赦願いたい。

 

まず、オットにモテている。

結婚して20年近く経つが未だに好かれている。

結婚する前も意外とモテていた。(他の男性陣にも)

世の中にはマニアックな人はいるのだ。

あと、動物と子供にも意外と好かれる。

お客様にもモテてると思う。

毎回、お土産を持って来てくださる方までいらっしゃる。

というかお金と時間を使って会いに来てくださる自体、

好かれてないと無理だと思う。

 

調子に乗ってんなぁ〜ということではなく、、、。

 

本当にモテる人はそれが普通のことだから、

水道ひねれば水が出るくらいのことだと捉えてるんだと思う。

なので、わたしも、

 

お前はすでにモテているっ!!

 

ケンシロウばりに潜在意識にインプットすることが必要だと思ったのだ。

 

これは引き寄せということにも大切で、

 

無いからあるにしようと思うと、

足りないという現実が上書きされるだけ。

 

でも、すでに「ある」と気づけば、

どんどん「ある」が更新されて行くのだ。

 

先ほどのブログを更新したら、何故か急に読者が増えて来たのも、

すでにモテが更新されていってるんだと思う。ヤッタネ。

ありがとうございます✨✨

 

ここまで読んで、こいつはかなりのお調子もので楽天家だぜ、

と思われたかもしれないが、

 

わたしもそう思う。

 

ただ、今まで、  願いが叶う時や、面白い流れになる時や、

シンクロニシティが起きる時をあらためて考察すると、

 

圧倒的にお気楽に、調子に乗って楽しんでる時が多いのだった。

 

友達に誘われたので、(誰が来ると聞かずに)のこのこ食事会について行く、

お気楽に思ったことを大胆につぶやく、

面白そうとイベントに参加してみる…等々。

 

その先に思いも寄らぬ繋がりがあった。

 

もうこれはずっと気づいてたけど、

なんだか嫌だったのだ。

 

真面目に真剣に取り組んだ感じの方が

かっこいいと思ってたから。

苦心の末に、とか。

 

でも真面目になるとわたしはすごく大変になるので(根がネガティヴ)

ろくなことにならないのだった。

 

だからもう開き直って

どんどん調子に乗ろうと思う。

 

それが調子っぱずれだったら、不協和音になるだけだ。

 

そしたらその時にチューニングし直せばいい。

 

そう思ったら気が楽になったのだった。

 

先日、ひとりカラオケ行ったら超楽しかったよと、友人を誘ったら、

何年も行ってないけど面白そうと一緒に行くことになった。

歌うのが苦手なのかな?って思ってたら、全然声も出てて、

うまいじゃん!って言うと

前はこんなに声出なかった!と自分で驚いていた。

それから彼女はとても楽しそうに何曲も歌っていた。

 

自分が今どんな音を奏でてるか?

響かせてみないとわからない。

 

まさにそういうことだって思う。

 

 

愛はおしゃれじゃないけどおしゃれは愛かも?

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今日はオフの1日。

やっと眠気から覚め、久しぶりに服などを見に行く。

街には服が溢れてるけど、本気で欲しいものってあまりない。

だからいつも間に合わせで買ってしまう。

季節の変わり目で着るものがない!とか旅行などの前で慌てて買うとか。

そういうの全然おしゃれじゃないよなあと思う。

 

でも今回もそんな感じ。

家に服はあるのに着たいものが全然ないのだ。

 

最近、食事のことも見直すきっかけがあり、

食べるものが自分のからだを作ってくれてるということを

あらためて感じている。

今まで無意識に欲しいと思ってあまり考えず詰め込んで来た食べ物。

それを意識的に、ほんとうに食べたいのか?からだは欲しているのか?

と感じてから食べるように心がけていると、

 

ほんとうにからだが喜ぶのがわかるようになった。

わたしの心も一緒にじんわり嬉しくなるのだ。

 

いっときの快楽ではない。

 

沁み入るような喜び。

 

自分を愛するって耳タコですが。

 

わたしを愛してるなあ〜〜って思うのだ。

 

突然だが、

わたしは今モテようとしているので

(男女関わらず、ね)

 

そのためにはどうすればいいか?ということを常に考えている。

 

それでモテる女性のイメージを考察してみると

自己愛というのが不可欠だとわかった。

 

やっぱり自分を大切にすることが

お互いに尊重し合える世界を実現する第一歩だと思う。

 

それがなぜモテることなのか?っていう感じだけど、

 

うふふ♡と自分がご機嫌でいて

何もしなくても周りをしあわせにするような女性になりたいのだ。

 

そんな訳で着るものも見直そうと思ったのは

着ていて嬉しい服を自分に与えてあげたいと思ったから。

 

岡村ちゃんの愛はおしゃれじゃないって歌、大好きだけど、

おしゃれは愛だって思う。

 

 

(今日は他にも更新予定。)

 

ただの日記(今日もぼんやりしてます)

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今日は午前から夕方までの仕事。

昨日に引き続き、眠い。

セッション中は集中するので気にならなかったけど、

終わったら眠くて買い物しようと思ったのに、さっさと帰宅。

 

最近、引き寄せのこと、全然書いてないけど、

相変わらずちょこちょこと日常では起きてる。

 

今日も以前から気になっていたケーキ屋さんのケーキを

お客様から頂いたり。

 

そういうことは結構あるんじゃないだろうか。

偶然と言ってしまえばそうなんだけど、

こういうことが積み重なってある日、

複雑な様相を呈することがあるので侮れない。

 

というか単純にうれしいし、ありがたい。

 

それにしても眠い。。。

 

もう今日はここまで。

 

可愛い赤ちゃんと猫の写真でお茶を濁す。

 

赤ちゃんに笑いかける時

自分もこんな時期があったんだなと思うと不思議だ。

 

覚えてないけど、自分も赤ちゃんだった頃、

たくさんの人たちに笑いかけてもらってきたんだと思う。

存在するだけで優しくしてもらってた無敵時代を経て生きてるのに

一体何が足りないっていうのだろうか?と自答する。

 

人は裸で生まれ、財産もからださえも全て置いて帰って行く。

 

足りないものなんて、そう思えば何一つないのかもしれない。

 

とかなんとか考えながら寝る。

 

今日は満月。満ち足りたそばから欠けていく。

月は潔いな。